夜が見たくなった
江國香織さんならこう書きそう
そない思いながら、昨日夜の散歩に出た
息子さんとの夜ご飯が割と早い時間に終わって、洗濯物も干したし、夜が見たくなって家を出た
家の近くにスタバはないので、ミスドに行くことにした
風があまりに心地よかったので、ミスドをやめて、大和川に向かって歩き始めた
久しぶりの夜のお散歩♪
雲が出てたので、お月さんは見れなかったけど
昨日の夕方、魚座の満月を迎える
昨日は朝から魚座の満月、秋分に向けてのメッセージがあちこちから届いてた
その中で”自己否定精神”を手放そう、というものがありまして・・・
長いことこれと対峙して、見えない”敵”を作り出し、それを”現実化”してたことに気付かされた
長年のこの”現実化”の謎が解けたような気がした
例えば・・・
何かを選択するとき、そこに善悪の判断を持ち込めば選択は自由ではなくなり、正しいと思う一択のみとなる
選ばれなかった方は”悪”
つまり、”敵”
そうやって選ばれなかったほうは、今度は”敵”として目の前に現れる
でも”敵”と思ったものも、自分の中には存在し続けるので、自分の思考を圧迫するのだと
さらに、そっちを選択・行動しなければ、自分はダメな奴なのだと
その選択をどっちでもいい、と思ってするのなら、そこには選択の自由が生まれると
なんと たくさんの”敵”を作り出してきたんやろう、って思った
火曜日
ちょっと気分を変えて見たくなり、インターコンチネンタルホテルでランチを食べた
目の前に広がる景色店内の雰囲気もよくていい心地
食べたかったイチジクもいただけて、よかったねと思って帰宅したものの、体がダルい
満月前というのもあったけれど、食べ物からエネルギーをいただけなかったのかもと思った
家にあった納豆を食べるとムクムクとパワーが(笑)
無性に、ゆにわさんのご飯が食べたくなった
後で思い返せば、その時に、わたしはご飯に対する”善悪”を持ち込んでたかもと思った^^;
ゆにわさんのご飯は、エネルギーが高くて◯
ホテルのご飯は、エネルギーが低くて×
みたいな・・・
「善し悪しではなく、どちらをその時食べたいか、そうしてはじめて、どちらの”そのものの価値”を認められるのかもしれないな」って
存在そのものに善も悪もない
存在そのものに価値(意味)がある
その上でどちらを選んでもいいのだと
なんだか、いっぱいとらわれてたなぁと
それが自分が”現実化”してたことなんやと
夜が見たくなった
その気持ちをそのまま選択できたのは
「息子を置いて散歩にでるのは非常識かも?」というとらわれがあったかなぁ
心地よい方を選んだ
少しずつ自由意志を取り戻そっか