高校を卒業した後、
大学受験にはパスせず、
在学中に合格していた
大阪市役所へ就職
1992年4月から
2015年3月末まで在職
税金、資金運用・資金調達、
住宅補助関係などの業務に携わる
最初の職場は
税金の
不服申し立ての処理を
するところ
仕事が好きになれず
上司とも
うまくいかなかった^^;
暗黒時代が長かった5年間
今も交流があって
一歩先行く
素敵な先輩に
巡り合えたのも
この時期なのですが・・・
働きながら通っていた
夜間大学の卒業とともに
固定資産税の部署に異動
上司・先輩・後輩に恵まれ
息を吹き返し
さらに、
自分のいいところも
バンバン発揮できた3年間
このころの人間関係は
退職後も続いているほど
その後
資金運用・資金調達の部署に
異動
お金の運用の面白さに
目覚めたのはこの時期
証券会社の人を相手に
いかに効率的に
まけさせて購入するか
(まだ20代でしたが・・・)
大阪のおばちゃんの血が
騒いでいた
まけてもうた分
自分の給料に
反映させてくれたら
ええのにと思ったが
そこは公務員で・・・
いろんな面で
成果は出ているはずやけど
なんか満たされへん
なんぼ頑張っても
給料上がれへんよなぁ
と思い始めたのも
この時期やったかも
いかに残業を減らそうかと
PCを駆使し始めた時期
残業しもって
3日ぐらいかかってた仕事を
半日ちょっとで終わらせたり、
修正が入っても
すぐに対応できるようにしたりと
効率化よくするのが
大好きな性格ともあってたし
ほんまに
好きになれた業務でもあった
一方で
資金繰りが苦しくて
借金も
めっちゃしたけどね
(私個人ではななく・・・)
そして、
絶好調な時期は
突如終止符を打ち・・・・・
全く畑違いの
住宅補助関係のところへ異動
業務も、
人間関係も一から
右も左もわからない毎日に
悪魔の手が忍び寄った
現在、
一緒に暮らす彼が
隣に座っていたのである
心の隙間とは
うまくゆうたもので
なんでかわからへんうちに
一緒になることになり
息子が誕生しましたとさ
出産を経て、仕事に復帰
息子を産んで以降、
母の体調が少しずつ悪化
介護もしながら
子育てもしながら
ほんで
歌の練習も行きながら
働き続けました
その職場で5年
しかし
なんか満たされへん
やっぱり
好きな仕事がしたい
資金運用・資金調達の部署が
公募をしていたので
手を挙げてみたら合格
独身の頃と違って
介護や子育てをしながら
働くことの不自由さを感じながらも
上司の支えもあって切り抜ける
しかし
母が亡くなる前
職場の人事異動により
私を除いて総入れ替え
1年で一番忙しい時期に
みんなに仕事を教えながら
自分の仕事も捌かねばならず
てんやわんやになる
母が亡くなる前日も
病院から
職場と
電話でやりとりをしたり
そこまでして働く意味って
あったんかな?
と
後で振り返ってみると
母の死は
悲しかったはずやけれど
自分の身も心も限界に近く
悲しむ余裕がなかったことで
紛わされたのかもしれない
翌年に昇任して
就職した当時の部署に戻り
業務の内容は
20年経っても
苦手やった(苦笑)
上司ともソリが合わず
またもや落ちこぼれる
その時 悟ったのは
どんだけ
頑張っても
それは
過去の業績であって
今の助けにはならなかった
ということ
このままいても
落ちこぼれの
レッテルだけが残る
ならば
やりたいこと
やりたい生活を目指して
新しい道に踏み出すために
退職を選ぼうと