今日は9月1日
毎月1日、15日
あかん時はその前日などに
氏神さんへお参りに行くように
というわけで
朝からてくてくと歩いて
周りのお地蔵さんたちにもご挨拶しながら
風は秋色
歩く自分の影がめっちゃ長くなったなぁと
歩きながら
あっ もう手放していいよね
って思うことがあった
ビジネス=”お金を稼ぐための手段”を
中心にする生き方・考え方を
手放そうと
こう書いてしまうと
私のこれまでの歩みを知らない人にとっては
何のこっちゃ?ですよね
<2014年からの出来事>
2014年4月から5月にかけて
私は大阪市役所を退職することを決意
彼に告げて、彼からも承諾をもらいました
自分の中で
経済的自立は必須と思っていたので
これならば
私も収入が得られるだろう
そんな
おぼろげなものを描きながら・・・
自分の強みを
キャッシュポイントに変えていこう
それを目指す人たちと交流しながら
私には何ができるのだろう?
試行錯誤を繰り返してました
退職が近づくにつれて
確固たるものが見出せない私
彼には
経済的自立ができるから
退職しても大丈夫と言うてた手前
自分の中に生まれる
不安を伝えることもできず・・・
そんな状況の中
職場の人間関係も悪化
顔にはアレルギーが出て
今思えばほんまひどい状態でした
結局
彼にその心のうちを話すことになり
それでもええんちゃう と
その時
自分の今持ってるものでも
十分やっていけるということも
彼とも確認していたのでした
2015年3月末で退職
こんなことができて
ビジネス=”お金を稼ぐための手段”に
なったらいいなぁ
という夢を持ちながら
4月中旬
とあるきっかけから
今事務のお手伝いをさせてもらっている
お仕事と出会いました
自分の夢が軌道に乗ったら
お仕事を辞めるつもりで
ビジネス=”お金を稼ぐための手段”
としていろんなプランを描こうとしたり
実際に行動を起こしてみようとしたり
ずっとやってきた歌でなんとかと
思っていても
いろんなことを言い訳にしたり
心も体も動かなくなったり
結局 前に進むことはなく
お仕事だけを
ただただ継続している感じでした
当然 焦るわけです
「私 何やってんだ?」 と
一緒に 学んだ人たちの中には
目に見える成果を得ていたり
そうしているうちに
また
彼と確認していた
自分の持っているもので
十分やっていけるよ
という安心感は
またどこかに吹き飛んでました
<”ある”に目を向け出したら・・・・・>
自分の置かれている状況って
自分の意識の向け方で
「いい方向」にも
「悪い方向」にも変わるわけで
自分が見ている世界は
結局は自分の意識・無意識が
「決めている」世界なんやなぁ と
「他人の目」と思っていることも
自分が「他人の目」と思っている
「自分が思っていることの表れ」って
知った時は愕然としましたけど(笑)
引き寄せのこと、
潜在意識のこと、
いろいろ学んでたどり着いたのは
上記の肚落ち
思う収入を思ったように
得られてないと”思う”現状だから
・自分の願いは叶えられてないし
・ビジネス=”お金を稼ぐための手段”が
できない自分はダメだ
という思いは
何をやっても いつも背中合わせ
どれだけ自分を満たしたり
いろんな行動をして
素敵な気づきを得て
安心感を感じても
ふとした瞬間に引き戻される
そんな状況を
ずっと繰り返していたような気がします
きっと
どれだけお金を得たとしても
安心感なんて生まれへんのんちゃうか?
とふと思った瞬間がありました
そんな時に
前からその話は知っていたものの
肚落ちしていなかった意識の向け方に
再び出会った1か月ほど前
自分で
「お金が”ある”」と思えなくても
自分の行動を
「お金が”ある”」ならどうするか?
という意識を置くことによって
事態が好転していきますよ
という考え方
とにかくやってみるか
と始めてみたら・・・・・
最初は
お金の支払いに対する行動のときの
意識の持ち方しか気にしてなかったのですが
どんどん「お金が”ある”」っていう
証拠が集まってきた(笑)
正しく言うと
「持ってたけど忘れてたもんを思い出した」
という
そして
それを活用することを
未来への不安から
自分で無意識に制限してた
だから”ない”と思っていた
ちょっと滑稽な感じ
目が向いていない
目が向く方向が偏ると
こんなことになるんやと
<願ったこと、叶ってる?>
大阪市役所を退職する前に
自分が描いた夢
・お金の自由を得る
・時間の自由を得る
ってことを大前提にしてたことを
思い出しました
時間に関しては、
退職によって「得ている」と思うことも
たくさんありましたけど
一方で「不自由」と思うことも
事務のお手伝いをさせてもらっているので
依頼されたお仕事はやろうと思うわけです
となった時に、
仕事・自分ごと・家ごと
どれを優先する?と
仕事を始めた時は
退職前と同じように「仕事」の感覚
お給料も欲しいですし
とある時
「仕事をこないしていく自分」に
疑問が湧きました
私、何のために退職したんやったっけ?
と
やりたいことをやれる時間が
欲しかったからやなかったかと
「自分のこと」「家のこと」を
やりたかったんちゃうの? と
そして、
そちら側へシフト
シフトしていくと
今度は
「やりたかったことがやれている充実感」と一緒に
「それに伴って 収入が減っている不安感」が
やってきたのです
私の今のお仕事は
仕事量そのものを
自分でコントロールできる要素は少なく
多い時少ない時があります
作業時間に対しての報酬形態なので
時間が多ければ多くなり
少なくなれば少ない
自分ごと
用事をしたら、出かけたりする時は
少ない方が助かる
一方で
得られる対価は少なくなる
そのジレンマにいつも悩まされてました
自分の中で
「お金が”ある”状態」って
外からお金が入ってきていることが
自分の目で見て確認出来る状態
つまり
自分のやりたいことができればできるほど
仕事からは
「お金が”ある”状態」を作り出せない
ということになるわけで
思い描いた時間の自由を手にしたのに
なんだか不自由な心持ちなのでした
<”ある”なら、どうする?・どうしたい?>
そんなジレンマに
今のお仕事をしたことによって
陥ったのですが・・・
一方で
歌を歌ったり(練習、ライブ参加)
平日に
今までできへんかったことが
できるようになったり
仕事の時間の融通が利くことで
めっちゃありがたい
と思うことも多いのです
ここでも
「時間の自由」を得ている感じ
お仕事をさせてもらうことを通じて
ボスや同僚の方々との
信頼関係が構築されていることの
素晴らしさも
痛いほど身にしみているわけです
前職で人間関係に苦しんだ経験が
そうさせているわけで
自分に起こることは
無駄なものは”ない”
イコール
「意味が”ある”」
というわけですが
また、
画像を見ていただきたいんですけど
好きな珈琲を頂きながら
パソコンに向かって
アウトプットしている自分
というのも退職前に
思い描いていた姿でした
自宅でもいい
スタバでもいい
好きなシチュエーションで
好きなことをやっていたい
そう願ってました
今のお仕事
パソコンが2台使えたほうが
作業上便利なので
もっぱら自宅が多いですけど
時には
出先、旅先でも
仕事をしていることもあります
ちょっと前まで
息子が夏休みだったので
お昼ご飯に帰ってくるため
思い立っての行動は
やりにくかったものの
お天気が良かったら
自転車に乗ってスタバに行ったり
地下鉄に乗って
キタまで出かけたり
仕事の予定とにらめっこしつつ
その日に
思い立った行動をすることもあります
そんなやり方も
願いが叶っていること
「ほな、願いが叶ってないな」
と思うことは?
「お金が”ある”」
と思える状態やないこと
やったんです
それが
「お金が”ある”」って思って
思ったものを買うことを楽しんだり、
やりたいように行動することを
楽しんでみたら・・・・
「得られる実感=”ある”」から
自分を解放してみたら・・・
「お金は”ある”」
という実感が湧いた(笑)
実感が湧いただけですよ(笑)
状況は何も変わってないけど
「お金が”ある”」って
実感が湧いてきたのです
それに
どれだけあっても
ないと思えば”ない”やし
その量も関係なかった(苦笑)
自分が行動するために
必要なお金が常に”ある”状態が
自分にとっての
「お金からの自由」のイメージ
叶う ってこういう方向から
やってきたんやと
くどいようですが
私の置かれている今の状況は
ほぼ変わってないです
変わったのは心の有り様
そう実感できたら
これまでどおり
やりたいと思ったことやったらええし
自分の感じ方としての
「ビジネス=”お金を稼ぐための手段”」を
やるのが苦しいと思うなら
もうやめたらいい、
手放そうと思ったのでした
<これからどうする?>
ならば どうしたい?
今 心地よいことは 続けながら
やってみたいと思っていたことは
ぼちぼちやっていきながら
今まで
心から楽しまれへんかったことは
気持ちをシフトさせて
自分ごとを楽しみ
家族3人の暮らしを楽しんでいけたらええな
と思っています
究極は「心地よさ」
ちょっと前に
自分が求めているもんは何やろう?
と思ったことを表した言葉
自分が自分で
無意識にブレーキをかけていたり
制限をしていたことで
得られなかった「心地よさ」もあり
そのぽっかり空いた「穴」が
これから埋まっていくのかなぁと
思っています
先日
息子とテレビを見ていた時に
自宅サロンに
どんな高級食材などを使っても
参加費は
一人「4000円」だけという方の話が
紹介されてました
その日のメニューは
5kgで6000円のお米、
1個150円の卵、
一箱3000円の鰹節、
こだわりの醤油を使った卵かけ御飯
(もちろん これだけではありません)
息子が
僕にお金があったら
これ食べてみたいと言いました
これやろうと思えば
食材さえ手に入れば
私ならできるわけです
あとはそれをやりたいと思うか
そこまでやろうとは思わへんか
その話を聞いた彼は
やりたいと思わなかった
それは
人それぞれの価値観による
お金の使い道の違いからくるもので
お金の”ある” “なし”とは、全く別
あっ
話が脇道にそれましたが
自分がやりたいこと
って何となくそれに近そう
自分ができることを
惜しみなく提供できる場
また
そこから
お互いに
いい経験ができたり
素敵な気づきが生まれたり
ええ感じの心地よさが
生まれたりするような場所
そんなところがあったらええな
と思っていたし
できたらええな
きっと
「おむすびとお味噌汁、珈琲の会」
をしたくなったのもそんな理由かな
また、
気づきの交流ができる場も
作ってみたい
そう思った9月最初の朝でした